アイドル市場における二重経済問題

 古巣のワンマンに参加した。古巣、というのは正確ではない。なぜなら筆者の推していたグループを同じ事務所の他のグループと糾合する形でメンバーも大幅増員の果てに結成されたグループだからである。この新規グループは当初から上(とは何処か?という根源的な問いは後々付いて回る)を目指すことが明らかで、当該グループを運営する事務所が拠点とする小さなライブハウスを拠点とはせず外部の対バンを積極的に組んでそれなりに実績のある作曲者による楽曲も準備。用意周到にアイドル市場に参戦してきたのだ。大きなイベントでのビラ配りや無料写メなどの施策により瞬く間に認知度を向上させた。最たる結果はTIF2017出場をかけたShowroom主催イベントでの勝利によるTIF参加である。この過程で24時間Showroom配信やメンバーによるマラソンなどファンの庇護心を掻き立てるような企画を敢行しそのロイヤリティを醸成。ファンの裾野も広がり順風満帆で迎えたワンマンと思われた。推しの卒業から約半年ぶりに見る快進撃のグループの舞台は300人収容の大きな箱。観客は多い。超満員とはいかないものの空間が目立つということは無い。観客もサイファーの常連だけでなく見たことのない若い人もいる。違和感は子連れの若い夫婦とその家族風が多いこと。メンバーのご家族だろうかと思ったがそれにしては若すぎる。疑問はセットリスト上のある一曲により氷解した。ゲストキャストとして恐らくダンススクールの生徒であろう子供たちを大挙出場させていたのだ。我が子の晴れ舞台を提供し観客として集客する。運営の頭の良さにうならざるを得なかった瞬間だ。だがどうだろう。控えめに言ってエキストラの関係者の観客に占める割合は決して低くないように見えた。

 大所帯でのステージは初めて見たがそれなりに練習を積んでいる(ことは知っている)ので悪くはない。私生活を犠牲にして全人的な努力を注いできた健気な少女達が大舞台で輝いていると思えば感動的ですらある。だがそのような予備知識なしに見たとしたらどうだろう。アイドルの中には圧倒的なビジュアルとパフォーマンスで観客の心を捉えてしまうグループも少なくない。だこの晩の彼女達はそうしたタイプではないだろう。むしろそうした誰もが刮目する存在ではない普通の女の子が全てをかけてステージに挑む姿が感動を生むという点でハイコンテクストなコンテンツと捉えることが自然だ。コンテクストとは文脈であり物語である。物語性は観客個人との関係性において育まれる。つまり端的に言って彼女達は典型的な地下アイドルである。物販で培ったパーソナルな関係性を基に経済的基盤を積み上げていく。こうした物販におけるファンとのコミュニケーションに関係性の維持を依存するモデルはいずれ物販及びSNSにおける物理コミュニケーションの量的飽和限界に達する。つまり一時間の物販で捌くことのできる顧客の数は限られており、同様にツイッターでアイドルのコメントに対するファンのリプライに返信できる人数も限られているということだ。こうした物理限界を引き延ばすためアイドルの運営は集客の増加にともない物販におけるチェキの会話時間を短縮化し、その時間管理を厳格化していく。同様にツイッターのファンへのリプライも限定的(例えば予約に対してのみリプなどの制限を設けている事務所は少なくない)となる傾向にある。さらに人気が高まるにつれ物理限界による機会損失を回避するためチェキ自体の単価が上がる方向で経済的な制度修正がなされることになる。ここに至り従来と同じあるいは劣るサービスに対する顧客満足度の低下は避けられず、既存顧客の価値は著しく棄損されるため一定の比率で既存顧客は離れていき顧客構成は徐々に新規の顧客の比率を高める形で入れ替わっていく。このため右肩上がりで伸びてきた顧客増加曲線は傾きがなだらかになりここで成長が足踏みするような形になる。物販を主な経済基盤とするモデルの限界である。アイドルはそれ以外の魅力でライブの集客や音源、グッズの販売を増やさなければ伸び悩みどころかファンの不満を抑えることができず急激なファン離れを誘発する可能性さえある。具体的に言えばこの時点で物販に依存しないビジネスモデルに移行しないとこれ以上の成長は見込めない。よくて足踏み、悪くて急降下、解散の流れである。地下から成りあがった運営事業体はこの段階で人気が急降下した場合、グループの維持さえも難しく、解散、あるいは活動休止の道を選択せざるを得ない。この差がメジャーとそれ以外を分かつ分水嶺である。グローバル経済における「中所得国の罠」を彷彿とさせるアイドル市場における経済の二重構造ではないか。

 途上国が低廉な労働コストを武器に経済成長を果たし先進国入りを目指すものの一人当たりGDPが10,000ドル前後に達すると急速成長が鈍化し停滞することを「中所得国の罠[i]」と呼び、アルゼンチン、チリ、メキシコなどの中南米諸国、マレーシア、タイなどのアジア諸国がそのトラップから抜け出せず苦しんでいると言われている。ノーベル賞受賞経済学者であるアーサー・ルイスはこれを途上国の工業に基盤を置く都市型経財と農業主体の郊外型経財の二重経済に起因すると分析する。農村の豊富な人材供給を背景に供給量を増やすことで工業部門が発展し続ける間は同国の経済をけん引するが、農村からの労働力供給が一定の水準に達し、農業部門からの労働力移転が起こらなくなると工業部門での採用市場での需要と供給のバランスが変化し労働コストの上昇を招く。そのため経済成長をけん引した輸出産業の国際市場での競争力が低下し、中所得国の状態で足踏みが続くという説明である。この労働力市場の受給の転換点をもって「ルイスの転換点」と呼び中所得国の罠に陥る分水嶺としている。

 今年に入って中堅アイドルの解散事例が相次いでいる一方で48グループはNGT48やSTU48などが順調に立ち上がり、乃木坂46欅坂46の隆盛を見るに、アイドル戦国時代と言われたここ数年以降アイドル市場を支えてきた中堅から地下に至るアイドル市場のすそ野の部分で疲弊が顕著になってきたことを実感する。矢野経済研究所によるアイドル市場調査レポート[ii]によれば2015年のアイドル市場は前年比+30%の高成長とされている。数字が高すぎるので対象項目の見直しなど何らかの区分変更が加えられた可能性は高いが、それでも同市場を成長市場ととらえる一つの根拠にはなる。またTIF2017も欅坂46の出演が呼び水となり昨年から1万人増となる過去最高の8万人の入場者を記録する[iii]など数字で見る限りアイドル市場全体が落ち込んでいるというわけではないようだ。筆者の実感でも雨後の筍のように沸いては消えていく泡沫アイドルの循環を見るに市場自体はダイナミックに推移しているとの印象を受ける。

 数カ月ぶりに参加した古巣のチェキは1分に短縮されていた。従来の長さが1分半なのか2分だったのかは判然としない。ファンが少なすぎて厳密に計測それることはなく会話が途切れるまで無制限に近い時間会話することができていたからだ。さらにファンが増えて物理的に捌き切れなくなったときに単価が上がるだろう。売れれば売れるほど古くから支えているファンの価値を棄損していく構造的欠陥。地下アイドル界の勢いのある時期には離れていくファンを上回る新たなファンの流入がこれを支えていたが今やこの流れは途絶えつつあるというのが現状であろう。数少ないファンの奪い合いの中で古巣は大変うまいこと上昇機運に乗れたと思う。しかしながら結成から半年足らずで地下アイドル界を駆け上ってきたこのグループは既に軋みが聞こえてきそうな危うい均衡の上で揺らいでいるように見える。筆者はこのグループの現状を揶揄するつもりはない。古巣というだけあって愛着のあるメンバーもいる。メンバーが体力的に追い込まれているのではないかと心配もしている。中所得国の罠は最終的に外資を引き付け続けるテクノロジーの蓄積、あるいは外資が引き上げてもそれを補える内部資本の蓄積により克服される。メンバーとファンが疲弊しきる前にそれらの資本を蓄積できるかどうか。距離を置きつつも継続して見守りたい。

 

[i]  内閣府HP:世界経済の潮流 2013年II 第2章 第1節 中所得国の罠の回避に向けてhttp://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa13-02/html/s2_13_2_1.html

[ii] 矢野経済研究所プレスリリース 2016年12月7日『「オタク」市場に関する調査を実施(2016年)』 https://www.yano.co.jp/press/pdf/1628.pdf

[iii] 文化通信 2017年8月11日『TIF2017、来場者数過去最高8万人超』http://www.bunkatsushin.com/news/article.aspx?id=134263